


悟りシェアする希望の火
遠藤 喨及


他者の苦しみに胸を痛める人にとって、
人が大切にされない世界は――ただ、悲しい。
その悲しみが、悟りを求めさせる。
その痛みが、世界を変えたいと願わせる。
たとえ一人でも――
そんな人がいるかぎり、
世界には、まだ希望がある。




イエス様が生まれたベツレヘム(パレスチナ)/予定

お釈迦さまが生まれたルンビニ(ネパール)
常灯されている希望の火


「Ryokyu さんは私の 親愛なる友人です。
困ったことに彼は、毎日、夢を見る。
そして、まるで漁師みたいに
私のような人間を釣り上げてしまう。(笑)」
—— トーシャ・ガンジー(マハトマのひ孫)


子供たちに希望を与える火を
共有できるのではないか?
僕は信じている。
人類の心が1つに結ばれるという
『同じ夢を見ているのは
僕だけじゃない。』と。









広島からの「希望の火」を灯し、
世界のために祈りましょう。
ダライ・ラマ14世


『平和の実現を目指して、
「希望の火」の巡礼をはじめた皆さまを祝福いたします。』
ローマ教皇 レオ14世

想像してみてほしい。
世界のあちこちに灯る聖なる火――
時代を越え、祈りとともに受け継がれてきた炎たち。
それらがひとつに結ばれ、
人類が心を合わせて祈り、
世界の聖地に、絶え間なく灯し続けられたら……
人類融合の象徴となるのではないか?

2014年、パレスチナにいた僕は、
ガザの空爆で両脚を失った9歳の少年を見舞った。
病室に入った僕には、
ただその子を抱きしめ、
泣くことしかできなかった……。
そのとき、僕の心にひとつの祈りが刻まれた。
「どうか、どの子も
このような苦しみを味わいませんように……」
「どうか、人類が利他の心で
ひとつに結ばれますように」
その願いから、
ひとつの火が生まれた。




“You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one.”
「きっと君は、僕を夢見る人だと言うだろう。
でも、同じ夢を見ているのは僕だけじゃない。」
「イマジン」(ジョン・レノン)より
同じ夢を見ているのは僕だけじゃない。
『悟りシェアする、希望の火』

これまで世界15か国を巡り、タオ指圧・仏教のワークショップ、
国際会議での講演、音楽活動、また様々な支援活動を通じ、
多くの人々に癒しと希望を届けてきた。

貧困地域や紛争地での支援にも長年、精力的に取り組み、
NPO法人 アースキャラバンを設立し、活動している。



さらに、合気道の黒帯を持ち、
「Ninja Hope」 というゲームを発明するなど、
多分野で活動を展開。

また、「希望の火」バンド Aminadabu (アミナダブ)を率い、
英国のグラストンベリー音楽フェスティバルをはじめ、
国内外のステージで演奏を続けている。

音楽家としては、メジャーレーベルより
7枚のアルバムをリリース。
楽曲は、国内外のラジオやテレビでも放送されている。

東京に生まれ、少年時代をニューヨークで過ごす。
現在は和田寺の住職を務める傍ら、
東洋医学、とりわけタオ指圧に関する著作を8冊刊行。
これらは6、7の言語に翻訳され、
世界各地で広く読まれている。

<写真>
●トルーマン大統領の孫
(左から3番目)
●東條英機元首相のひ孫
(中央)
●マハトマ・ガンジーのひ孫
(右から3番目)
●ナチス将校、アーモンゲートの孫(左から2番目)
●アウシュビッツ生き残り、
エスター・ソルキの孫(一番左)
2019年より、人類の利他の祈りを一つの火に込める
「希望の火」 の活動を開始。
世界の要人や市民に呼びかけ、
そのムーブメントを広げて いる。
遠藤喨及(えんどう・りょうきゅう)プロフィール

プロフィールを読むと、
まるで僕が「光の人生」を歩んできたかのように
見えるかもしれない。
でも、実際はまったく逆.....。
かつての僕の人生は、
闇の中で絶望し、泥にまみれ、
それでも悲しく光を求めつづける――
そんな日々の連続だった。


もの心ついた三歳のころから、
僕にとって人生は“辛さを耐え忍ぶ場所”だった。
生きるというのは、
心も身体も、ただその痛みに耐えることだった。




十歳から十三歳まで、僕はニューヨークにいた。
地元の学校に通いながら、新聞配達をしていた。
真冬の凍える朝、風邪をひきながら新聞を配った。
薄暗い配達所で、移民の子どもたちと
時おり言葉を交わした。













生きる痛みから逃れるため、自傷していた
日本に帰って二年。 僕は高校に入った。
――場違い。
良家のご子息が通うような学校だった。
そして、満員電車の中で見た“世の中”にも、
心の底から絶望した。
十六歳の僕にとって、
人生とは“死の衝動に耐えること”だった。

苦しみを忘れたくて、
自分の身体を壊しはじめた。
リストカット、薬の過剰摂取……
高校は二校を中退し、家を飛び出した。
やがて、ホームレスになった。





光の中で、世界が消えた
そんなある日、
音楽の演奏中に、不思議なことが起こった。
世界が――すべて光になったのだ。
二度あった。
そのあと、ふと思った。
“悟りって、こんなことを言うのだろうか?”
宗教にはまったく興味がなかった。
なのに、なぜそんな言葉が想い浮かんだのか?






十八歳のとき、修行道場に通うようになった。
念仏と読経に没頭する日々。
三か月ほど経ったころ、
人生で初めて、“安らかに眠る”ということを知った。




自分を救う光
修行に打ち込んで三年。
僕は、宇宙大霊の大愛と光を体験した。
救われない霊を救う方法も学んだ。
そして、人には目に見えない身体があることも体験した。
それらの体験は、僕を.....根こそぎ救ってくれた。





宇宙大霊からの宿題
それ以来、人生の目的が変わった。
宇宙大霊の愛を、人々と分かち合うこと。
僕が僧侶になったのは、ただそのためだった。
自らの体験で得た霊的メソッドを形にして、
人々に伝える――それが宿題だった。
苦しみに耐え続けた少年は、
その宿題を果たすために、
人生のすべてを賭けた。
その集大成が、『悟りシェアする、希望の火』シリーズである。


絶望の底で見つけた一筋の光
「希望の火」が生まれる前の物語




